2021/09/06
うーんうまくいかぬ。
2021/09/04
きびしい。
2021/09/03
自分でやる物事は、自分が軸でないといけない。他人の評価が目的になると、だいたいろくでもないことになる。自分が満足することをやって、それが他人から評価もされてほしいってのは良いが、他人の評価が第一になるとだんだん歪みが出てくる。
今日はいい一日だったかと言われるとそうではない気がする。人の感情をないがしろにしてしまったのでは?という部分がある。体調も良くなくて気が回らなかったな。
2021/09/01
まいにち日記を書こうと思っている。まいにちっていうのは難しい。ルーティン化。なかなかできることではない。
むかし、なんだったかシステム管理者の本に、つい忘れてしまうことはルーティン化すれば良いと書かれていた。筆者はすぐガソリン切れに陥ってしまうが、毎週月曜に残量に関わらず必ず給油するルーティンにしたら、ガソリンのことを頭から外せるようになった。仕事でもそういう風にすれば良い、と。それはその通りだが、どうすればルーティンにできるのかっていうそこが難しい。
えらい人と話をして、人間に関する例え話をしたが、なかなかうまいたとえだったと我ながら思っている。仕事はいい感じではないが、コントローラブルになってきた。いや、コントローラブルでもないのだが、なんとなく勘所がわかってきて、コントローラブルっぽく見せることができるようになってきた。本当の意味で制御できているわけではなく、そこに持ち込むまではまだまだ長そうだが、とりあえず夜も眠れぬということはなさそうである。よしよし。
2021/08/29
やられない方向に思考が向きがちである。やる発想も必要。
サボるってそんなに悪いことでもねえよな
今週のお題「サボる」
という話なので、俺の最も得意とするところがお題となったな、などと思うのだが、しかしどうだろうな。
俺はどちらかといえばサボりがちな人間だと思う。学校もあんまりちゃんと行ってなかった。とはいえ卒業できる程度には行っていたわけで、そうひどいってことでもないと思うが。
それでまあ、大人になってからもやらなければと思っていたことをやれなかったりはしていて、そのことで自分を責めることも多くあった。 で、そういった経験を繰り返して思うのは、「今日もサボってしまった…」みたいな感情って完全に不要なのでは?ということである。
人間は、生きている以上は、何もしないというのは無理なことなのだ。
「今日はあれをやるはずだったのに、何もしなかったな…」と思うことはあるが、実際には、ふて寝したり、ぼーっとしたり、スマホゲーやったり、とにかく何かはしているのだ。何もしないということはあり得ない。 で、それって、別にサボったわけではなくて、数ある選択肢から「ふて寝」を選択したってことになるんじゃないだろうか。
意識か無意識か知らないが、いま俺に必要なことは「ふて寝」である、と思ってそれを選び取ったということだから、何も恥じることはないのではなかろうか。
いや、そりゃふて寝は生産的じゃないっすよ。生産的なことをやるはずが、何も生産するもののないふて寝で一日が終わってしまったっていうのは辛い。
が、それで「今日は何もしなかったな…。やはり俺はクソだな」と思うのは単なる自傷行為なんじゃないだろうか。嘘でも「今日は必要な休息をとったのだ。明日からがんばるぞ」ということにしないと、ふて寝をしたのに疲れて終わることにならないだろうか。
そういうわけで、サボるっていうのは悪いことじゃないっていうか、いや悪いことなんだろうけど、それを認めちゃうと人間は生きていけねえよなって思うのである。
それで、どうすればふて寝で一日を終わらせずにいけるかっていうと、たぶん、きちんと睡眠をとって、そこそこに運動をすることだろうなと俺は考えている。いやふて寝は悪いことじゃないんですよ。とはいえ。