骨格標本展示会場 第2展示場

まいにち書くぞ。

わたしとインターネット、あるいはインターネットのいちばんよかった頃

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

今週のお題以外にもお題があるようだ。何かしら書いておかねばなるまい。

俺にとって、インターネットのもっとも良い時代とは、だいたい10年前、2010年くらいになる。高校を卒業して、大学に入る間際。寂れた田舎で高校生をやっていた俺は、東京に住む兄から最先端を教えてもらっていた。

それはたとえばiPhoneであった。クラスで一人持っているかどうかの変な電話が、どうやら変な電話などではなく、何やらすげえものであるのだと教わった。

そしてTwitterであった。世の中のいちばんすげえ人が、いま何を考えているのか、これを見ればわかる、と兄は言った。

俺は大学に入学して、Twitterのアカウントを作った。アカウントを持っている知り合いや、周りに薦められた人間や、Twitterがおすすめしてくる人間をフォローすると、タイムラインが流れ出した。その頃はまだ単に時系列順にツイートが並ぶだけの仕様だった。自分でつぶやくと、そのツイートは一瞬トップに表示され、そして流れていった。

今にして思えば信じられないことだが、俺はこれを自由なツールだと感じた。学校裏サイトでは日記を更新しないために迫害され、mixiでは足あとをつけ返さないために迫害された俺が、ここでは空気読みゲームをやらなくて良いのだと感じた。

そしてあれが起こった。東日本大震災。やけに長い地震だと思い、テレビをつけると震度7。しかし、映し出される街並は大きく崩れたりはしておらず、日本の家屋は優秀であるなと思ったのも束の間、津波に全てが飲み込まれた。

そのとき、Twitterは大変役に立ったらしい。電話もメールも通じない中、唯一通じるのはTwitter。情報源として、安否確認ツールとして、支援のためのコミュニケーションツールとして役立った。らしい。俺は被災地から遠く離れた場所にいたのでよく知らない。テレビがそのようなことを言っていた。俺はアルバイトをしていた飲食店で、食材が届かないから仕事にならねえと叫ぶ店長を見ていた。よく叫ぶ店長だった。

で、SNSとはなんだかすごいものであるという意識がますます形成されていき、人間が増え、そこは社会になった。巨大な井戸端会議の場となった。迂闊な発言をした人間が炎上し、公開の場で迂闊な発言をするのはやめようと叫ばれるようになった。俺はいつの間にかTwitterをすごい人の考えを知るツールでなく、現実の人間関係の拡張として使うようになった。俺はSNSで目立つ人とは、すごい人というよりは、単に人間の感情を揺さぶるのが上手い人であると感じるようになった。そしていつの間にかTwitterを開かなくなった。

で、その後もいろんなSNSが出てきて、登録してみては社会を感じてやめるということを繰り返した。俺が初めてTwitterを使ったときに覚えたあの自由という感覚が何だったのか、もうよくわからない。当時のTwitterには本当に魔法があったのか、それとも俺の感性が腐ってしまったのか、今となってはわからない。

ところで今日、缶ではなくパウチのシーチキンがあると知って感動したので、そのことを記して結びとしたい。めちゃくちゃ中身が出しにくいが、切り口を2つ作ることで強引に解決しているのがたまらなく愛おしい。

f:id:honeningen:20210728153227j:image