骨格標本展示会場 第2展示場

まいにち書くぞ。

News Diet読んだ

https://itunes.apple.com/WebObjects/MZStore.woa/wa/viewBook?id=1554307462

読んだ。ニュースは見ないほうがいいんじゃねえのっていう本だ。なんでこれに興味を持ったかというと、はてなブログで言うのもなんだが、はてなブックマークを見るのをやめたいとずっと思っていて、やめられていないからだ。

で、読んでみての感想は、ちょっと極端じゃないかということだ。極端というか、ニュースは見ない方がいいという結論が先にあって、そこにいくための都合の良いものごとだけをこじつけているというか、そういうパターンの言説に思える。本当に必要なニュースは誰かが教えてくれるから自分でニュースを見る必要はない、と言ったかと思えば、世の中の誰もニュースを見なければ世界はもっと良くなると言ってみたり。古代の思想家の時代にはニュースなどなかったから、現代でも見なくて問題ないんじゃないかと言ってみたり。そもそもニュースの定義からして、この人の認めない文章はニュースで、認める文章はニュースじゃないってことじゃねえのと思わせる。

そういう否定的な思いもあるが、言ってることに頷くところも多く、だからこそ最後まで読めたのだと思う。

別にひまつぶしの情報の流し込みをニュースに頼る必要はなく、自分の興味のある方向性の本でも読めばいいじゃん、と言う。まさにその通りである。

ニュースっていうのはその産業的な構造上、人の感情を刺激するように作られていて、見るといろんな感情な襲われるが、よく考えろ、それってお前の人生にとって必要なことか?と言う。それは確かにそうである。

ところで、何を隠そう、俺にはニュースを断っていた時期がある。大学3年から4年くらいのことだ。別にニュースを断とうと決心したわけでなく、家にあったテレビを研究室にもっていってディスプレイにしたので、テレビをみる手段を失ったのだ。で、その頃ははてブやネットニュースを見る習慣もなかったので、まさにニュースダイエット状態だった。

そのときに何か困ったかというと、全く何も困らなかった。ちょっとはニュースも見ないとな、と思うことも全くなかった。まあそれは、学生という立場によるものが大きかったかもしれないが。

思うに、ニュースを見ないというのは、案外にも、ワンピースを見ないのと同じくらいの影響しかない。ニュースを見ていて、あのときはこんなこともありましたが…という繋がりが出てくることはよくあって、それがニュースを見なかった期間のものだと、俺が知らない期間のことだなと思う。それは、ワンピースを見ていて、過去のキャラクターが再登場したときに、俺はこの時代のワンピースを読んでなかったからこいつが誰かわからねえな、と思うのに似ている。それで困るかというと、それほど困らない。

この人が腐すほどにニュースは悪いものでもなく、共通知識として会話のネタになったり、興味を持って深く調べたいものごとに出会うきっかけになったりする。そういう面もあるが、見ないとダメなものでは決してなく、情報の良質なインプット源は他にもいくらでもあるんじゃねえのっていう主張には、まあ賛成しておく。